Shibu-Sa/ja
(渋さ)

 日本独特の美を表する形容詞「渋み」に対する名詞。もともとは味覚に関する言葉であったと考えられるが、大乗仏教の禅宗のとらえかた「寂」に重なるところが多く、視覚面、聴覚面、さらには「茶の湯」の成熟とともに心の状態を表する言葉ともなる。

 柳宗悦によれば「渋さ」という言葉の特質は、3つあるとされる。
1:美を表する標準語であること。
2:誰でも知っている日常語であること。
3:渋きモノやコトに即して、具体的なイメージとして表現できること。

 そして、柳宗悦は「渋さ」の性質の要素として
1:「単純性」。「簡素」。あるいは「閑味」易しくは「無地もの」
2:「含蓄性」。「内面性」。易しくは「含み」「深み」。あるいは「幽玄(幽はかすか、玄は黒の意)」。仏教的な表詮では「未生」「不生」。
3:「謙虚性」。禅句でいう「巧匠不留跡(巧匠、跡を留めず)」
4:「沈黙性』。あるいは「閑寂」「静寂」。仏者の理念である「涅槃寂静」。易しくは「永えの落ち着き」
5:「自然さ」。あるいは「必然さ」。易しくは「たくらみのない」「おのずからのもの」。「さびたるは良し、さばしたるは悪し」「慎莫造作」
6:「無事」。「平常底」。「尋常さ」。「当り前のもの」
7:「麁相性」。「奇数性」。易しくは「あらあらしさ」。あるいは「曲み」や「疵」などの「破形」。いいかえれば「自由さ」
 などを挙げている。

 その上で、「渋さ」の基調ともいうべき「無」とか「空」という思想は、仏教で教えているように、ただ何もないとか、凡てを排するというものではなく、一切を含む「無」、あるいは「有」を即する「無」という意味で、「沈黙」といっても「雷の如き一黙」ともいえる黙して黙しないという性質が濃いとしている。それ故「渋さ」には曰く言い難い「妙味」で、本質には凡ての説明を近づけぬ妙義であるとする。

 「渋い」という言葉が、いつから日本で用いられ始めたかは定かではないが、この言葉により日本独特「美の基準」を得たことが大きいとし、柳宗悦は、現代西洋文化の礎となるメディチ家が庇護したルネサンスに対して、足利義政の庇護した東山文化は、現代日本文化の礎ともなる「日本独特の美」を創り上げたと評している。

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